供養は後ろ向きな意味では決してない

この記事をお読みの方は「供養」という言葉を聞いて恐らくは、故人のことを偲び、しめやかに、粛々と行われるものだと考える方もいるでしょう。もちろんそういった意味も持たせられるのですが、供養とは実はとっても前向きな意味が強いのです。なぜなら、生きている私たちが普段何気なく周囲の人たちにしている行動こそが供養なのです。

供養とは「労い・尊敬・感謝」

普段私たちが周りの人たちに何気なくしていること。それは労いであり、尊敬であり、感謝なのです。

頑張っている人に「お疲れさま!」

成し遂げた人に「すごい!」

何かをしてもらったら「ありがとう!」

普段何気なく周りの人たちに言っている言葉、思いやりこそが実は供養の正体なのです。もし供養に後ろ向きな意味しかなければ、普段私たちがしている供養も後ろ向きなものになってしまいますが、そんなことはないですよね。つまり供養とは、生きている人にも亡くなった人にも伝えることのできる「労い・尊敬・感謝」の形なのです。

僧侶による供養とは

皆さまが故人に対して供養の思いを伝えたとき、目に見えたお返し、例えば笑顔を返してくれたり手を振ってくれたりというようなことはないかもしれませんね。ここで皆さまは「本当に私の供養は伝わっているのだろうか…」と心配になるかと思います。でも大丈夫。しっかりと皆さまの供養の思いはご先祖さまのもとに届いているのです。ではお坊さんのしている供養にはどんな意味があるんだろう。そうお考えの方もいるかと思います。分かりやすく説明すると、お坊さんの供養は皆さまとは種類が異なるのです。具体的には、お坊さん自らが仏さまとなってご先祖さまにお経などで説法をします。そしてご先祖さまにさらなる仏道を歩んでいただくことが目的です。この説法=教えを説くというものは我々僧侶にしかできません。故に皆さまの供養と、僧侶の供養の両方が必要なのです。

自分自身を大切にするということ

よく、ご先祖さまを大切にしたらどんなことが起きるの?ということを聞かれます。ご先祖さまを大切にすることで多くの福寿、例えば家内安全や子孫繁栄をもたらしてくれます。そのような側面もあるのですが、安楽寺の考えるご先祖さまを大切にすることは、自分自身を大切にするということと同じなのです。それは何故なのでしょうか。

自身他身一如と与んじて平等なり

「自身他身一如と与(とも)んじて平等なり。」この言葉は弘法大師空海さまのお言葉です。現代風に訳すと、「私もあなたも、周りの人も、生きとし生ける全ての存在はみな平等であり、かけがえのないいのちを持っているんだよ。」という意味になります。この「他身」とは、犬や猫、魚などもそうですが、あの仏さまも含んでいます。つまりは仏さまとも私たちは平等な存在なんですね。そして、そんな尊い自分という存在を大切にする手段とは、まったく同じく尊い仏さまやご先祖さまを供養(労い・尊敬・感謝)するということなんです!仏さまやご先祖さまを大事にするということは同じほどに尊い自分を大事にすることと同義なんですね。お化粧や運動も自分を大切にする行いですが、あくまでも外側だけ。心の中まで自分を大切にしてあげられる手段が仏さまの教えに詰まっているのです。

険しい現代社会で生きるからこその先祖供養

目まぐるしく変化する今の社会の中で、私たちは自分自身というものをついつい見落としてしまいます。それはこの現代での生活がとても忙しいから、または生活が豊かになりすぎたから。間違いなく今の世の中は豊かになりましたが、なぜだか毎日何かに忙殺される日々…しなければいけないことが多すぎて、自分自身を大切にできていない人がたくさんいらっしゃいます。昨今特に「鬱」という言葉を耳にします。鬱とは疲労がたまりすぎて溢れてしまった時の防衛本能だと言われていますが、現代人だからこそ、どうか自分自身にも供養をしてあげてください。安楽寺では月参りや先祖供養も行っておりますのでいつでもお電話ください。

合掌

お葬式・ご法事

永代供養・納骨

ペット供養

〒694-0031
島根県大田市静間町1558
TEL : 0854-84-8171

Copyright (C)

大田市 高野山真言宗 金剛山安楽寺

All Rights Reserved.